
沖縄県知事選挙で初めて、日本復帰後生まれの知事が誕生することになった。
次の知事が容認する普天間基地の辺野古移設の行方をどう見るのか。
返還合意からの30年の現状と合わせて考えます。
【写真で見る】“全面返還”のはずが進む基地強化 裏に“普天間キープ論”
「悔しくてたまらない」デマや誹謗中傷に悩んだ知事選
玉城デニー 沖縄県知事(9月12日・那覇市)
「誹謗中傷、雨あられ。相手候補を応援する側が私に何万、何十万と繰り返される誹謗中傷を畳みかけるように浴びせかけてきた。しかし、私だけじゃない。私を応援している人にも、そういう誹謗中傷を浴びせかけてきた。そんなことが県知事選挙で許されると思いますか。いまこそ、いまこそ、この県知事選挙で、これは正しい民主主義のやりかたではない。だからこそ、うちなーぬ いきがぬちゃー(沖縄の男の人たち) 立ち上がりみそーれ(立ち上がりましょう)、うちなーぬ いなぐぬちゃー(沖縄の女の人たち) 立ち上がりみそーれ(立ち上がりましょう)」
現職・玉城デニー知事にとって3度目の知事選は、大量のデマや誹謗中傷に悩まされていた。選挙前、すでにその渦中にいたこともあり、早くからこの状況を憂えていた。
玉城デニー 沖縄県知事(3月30日)
「日本人の国民性を壊しているのではないか、ということを非常に危惧するんです。一行の言葉でそれを潰してしまっているようなことに対して、悪意はないと言えるのか、ということです。いつも悔しくてたまらないんですよ」
2023年、中国での沖縄県出身の学生との昼食会で、激励にカチャーシーを踊る玉城氏の動画が、2026年7月になってSNS上に投稿された。
「支那詣で」「売国の舞」など、コメント欄には玉城氏や沖縄に対する激しい誹謗中傷が相次いだ。それは選挙戦に入ると、さらにエスカレートしていった。
玉城氏の演説会場は、たびたび緊張感に包まれた。
写真を高々と掲げ、大声をあげながら周辺を歩き回る人物。掲げていた写真は、普天間基地の移設先・辺野古沖で船が転覆し亡くなった女子生徒だ。
事故は、船の運航団体が玉城氏を支援していたことから、玉城氏への中傷や批判が広がるきっかけにもなり、出馬表明の会見も延期を余儀なくされた。
玉城デニー 沖縄県知事(3月30日)
「事故の痛みの方が相当重かった。それを考えると、それはそれ、これはこれと、分けるわけにはいかないという・・」
だが実は、苦戦の予感は7か月前に遡る。
辺野古めぐり主張別れる 問われる基地問題
2月、衆院選で玉城氏が支援した候補が全敗。それは、自らの選挙の基盤が脆弱になることを意味していた。沖縄で自民党候補が全勝したのは、小選挙区制が導入されて以来、初めてのことだった。
玉城デニー 沖縄県知事
「全国で『高市旋風』とマスコミでは表現してましたけど、まさにそのような状況に巻き込まれたということもあるんだろうなと思います」
1か月遅れの出馬表明は、辺野古沖事故の犠牲者への黙とうで始まった。選挙戦は、古謝玄太氏、下地幹郎氏と3人を軸に進む見通しだった。
それぞれが経済政策を前面に押し出す中、明確に主張が分かれたのが、辺野古をめぐってだ。
古謝氏は、辺野古が最も早い解決策として容認。下地氏は計画を見直すとし、玉城氏は反対し、なお政府との対話を求めた。
大浦湾では県知事の権限を奪った国による代執行で埋め立てが進む。
玉城デニー 沖縄県知事(2月15日)
「埋め立てが進んでいるということは、一種の負けと言われるかもしれない。しかし、我々が追求していたものは議論されていない。“国が言う通り決めなさい”というのは、地方分権でも何でもない、民主主義でも何でもない。主従の関係が変わらないだけですよと。県知事として不条理は正されなければならない」
とはいえ、経済対策が大きな争点になる中、辺野古を前面に押し出さない。7本の政策の柱から辺野古の文字が消えていた。だが、それが一変する出来事が起きる。
「辺野古」の文字が消えるも 構図一変で明確になった争点
告示直前、下地氏が自民党本部と政策協定を結び、出馬を取りやめたのだ。
自民党本部との4項目にわたる政策合意の4つ目には、普天間基地の返還期日を明らかにすることが記されていた。それらは「実現に向けて努力する」という合意だった。
両者の間を取り持ったのは鈴木宗男参院議員。地元の沖縄県連が「頭ごし」だと抗議したことに釘を刺した。
自民党 鈴木宗男 参院議員
「国の予算なんです。わかりますね。沖縄の子どもたちや女性や青年のためになるから皆さん『頭ごし』でもいいんじゃないでしょうか」
下地氏は、「任せられない」と強く批判していた古謝氏の支援にまわった。
国政6政党の推薦に、下地氏の票の上積み。古謝氏は、目指す沖縄県庁の前で告示第一声のマイクを握った。
古謝玄太氏
「停滞の県政を前進の県政に変える。国を悪者にして、あるいは大企業、県外の資本、こうしたところを悪者にして沖縄の暮らしがよくならないと、誰かのせいにして今を諦めるのはもうやめましょう」
辺野古に触れることはなかった。
一方、玉城氏が告示第一声に選んだのは、母の故郷・伊江島を望む場所。
2期8年の実績をアピールしたあと、下地氏が下りたことで辺野古の争点は明確になったと、原点に返っていた。
玉城デニー 沖縄県知事
「辺野古は絶対完成できません。絶対反対です。平和だからこそ経済、平和だからこそ勉強、平和だからこそ将来。この思いは、私が沖縄県知事として2期8年間、先人の沖縄県知事、その前の官選知事の皆さんも沖縄を平和にしていきたいんだという思いをずっとつないできたことにほかなりません」
そして、地元・うるま市でも。
玉城デニー 沖縄県知事
「辺野古移設では普天間は返って来ない」
そう訴えるのには理由があった。
普天間返還合意の原点 混迷の30年を生きる若者の葛藤
辺野古への普天間基地移設のきっかけは、31年前の1995年9月、3人のアメリカ兵が起こした少女暴行事件に遡る。
一報は、事件4日後の小さな記事だった。3人は帰宅途中の小学生を拉致し、暴行に及んだ。事件は、占領下と変わらぬ沖縄の現状を突きつけた。
過重な負担の軽減、基地の整理縮小を求める声が高まり、日米両政府は1996年4月、普天間基地全面返還で合意することになる。
しかし、返還は県内移設が条件だったことから当時の大田知事は受け入れを拒否、事態は曲折をたどる。
31年前、両親とともに事件に抗議する県民総決起大会の会場にいた西由良さん。生後11か月で参加した、初めての県民大会だった。
それからの混迷の30年は、西さんの人生の時間に重なる。
西由良さん
「なんで大人たちは何もしないんだろうと思っていた自分が、 なんで子どもたちのために動かせられないんだろうという責任のある当事者になっていく感覚があります」
だが、西さんの世代には葛藤があるという。
西由良さん
「何かやっても別に変わらないんじゃないかとか、何か変えられるという実感がもの凄く乏しい世代だと思うんです。だからといって何も考えてないわけではないので、すごくこの世代は葛藤しているところだと思います」
葛藤の中で立ち上げたのが、「あなたの沖縄コラムプロジェクト」。個人の体験を通して沖縄を語る場だ。約60人の執筆者にそれぞれの視点がある。
その一人、沖縄に暮らす玉元花菜さんは、事件があった95年生まれ。その時を語る母の言葉を忘れない。
玉元花菜さん
「生まれたばかりの私を抱っこしながら、母は少女暴行事件のニュースを聞いて、こんな小さい幼い子でも被害に遭う。私はこの子をどうやって守っていけばいいんだろうと、果てしない気持ちになったと言ってました」
基地の風景が日常に溶け込んでいた人生の時間。その異質さを痛感したのが、10年前の2016年、同じ20歳の女性がアメリカ軍属に殺害された残忍な事件だ。
すり替わった“本質”と日米合意の矛盾
玉元花菜さん
「被害者の女性と同じ年齢だったんですよ。そのときはすごい胸が痛んだのを覚えてます。ジョギングに出ただけで、そういう被害に遭ってしまう可能性があるっていうのは、沖縄の歪みのひとつなんだなって」
玉元さんのコラムにこんな一節がある。
『知り合いが集まる飲み会でおじさんが口にした言葉を思い出す。
「もう疲れてしまった」
基地問題の話になった際にポロッとでた一言だった。
どれだけの人が「疲れた」のだろうか。
私は声をあげても変わらない環境で変わらずに声を上げられるだろうか』
玉元花菜さん
「沖縄の人たちって、基地反対派と賛成派という分け方をされて、その二分の中で人間関係も、この人はどう考えてるんだろうっていう、薄氷を踏む思いで生活しているときもある。センシティブな話題がぱっと飛んできたときに、『ああ、どう返そう』みたいな。 一歩前進したかもって思ったら、新たな基地被害とか隠蔽されていたとかって新たに出てきて、上がったり下がったりで、そりゃどんどん心が削られていくし」
自らが生まれた年の原点を思う。
玉元花菜さん
「あの県民大会が起きた時にみんなが願っていたのは、(基地負担を)他に移せばいいやではなかったと思うんです。そもそもなくそうという動きだったはずなんですよ。それがいつしかどこかですり替えられて」
「どう減らすか」は、「どう移すか」に変質した。負担軽減を掲げながら、アメリカ軍の能力維持を前提にしていた日米合意の矛盾。
移設計画を進めた一人が当時の沖縄総領事、ケビン・メア氏だ。 総領事館の部屋に、自らのサインを入れた当時の完成図を飾るほど、思い入れがあった。
ケビン・メア元米沖縄総領事
「矛盾ということではない、と私は思う。二つの目的は両方が重要である。具体的に負担軽減ができて、同時に能力を維持して強化できるかという計画をしました」
辺野古が唯一の解決策とする日本政府と、新基地建設は新たな負担で軽減にならないとする沖縄県は、激しく対立してきた。
ケビン・メア元米沖縄総領事
「負担軽減にならないという計算、私は理解できません。歴代の知事たちがすごく妨害しようとしていた。もし協力したら、もう移設できたかもしれない」
だが、アメリカ軍内部には辺野古の滑走路が普天間基地より短く、機能が劣っているとして、辺野古の完成後も「普天間をキープすべき」とした、 いわゆる“普天間キープ論”が存在する。
返還の条件は長い滑走路…30年前に「那覇空港の緊急使用」について議論も
さらに、国防総省の公式文書には。
『代わりとなる滑走路が日本政府によって選定されるまで、普天間は返還されない』
普天間基地の2700mの滑走路に対して、辺野古の計画は1800mが2本。それを補う長い滑走路の選定が返還の条件とされている。
ケビン・メア元米沖縄総領事
「(辺野古の)滑走路短くなる。みんなわかってる、バカじゃないから。 “有事の際に戦略的な滑走路へのアクセスを改善する”」
有事の際、必要になる長い滑走路とはどこを指すのか、メア氏はこう示唆した。
ケビン・メア元米沖縄総領事
「指定されてないけど、両政府の合意で。でもいろいろ想像できるでしょ。那覇の第二滑走路、その時はなかったけど完成した」
2020年に完成し、運用が始まった那覇空港第二滑走路だ。
30年前の外務省・防衛庁・在日アメリカ軍との二国間会合の内部文書によると、このとき、すでに「那覇空港の緊急使用」について議論されていた。
玉城デニー 沖縄県知事(8月30日)
「辺野古を造るということは那覇空港も提供するという、ダブルのシステムになってるわけですよ。原点の問題が結局解決されないまま弥縫策ですったもんだしてきたのが、僕は辺野古移設の最たる汚点だと思う」
この問題についての考えを、当選後の古謝氏に聞いた。
古謝玄太氏(9月14日)
「(那覇空港は)そもそも国管理というところもあるわけですよ。その中でどれだけ要求、交渉できるかというところは非常に重要になってくると思います。何でもかんでも反対をすると、逆に全部強引に進められてしまうという部分もありますから」
“全面返還”のはずが進む基地強化 裏に“普天間キープ論”
沖縄国際大学の前泊博盛教授は、隣接する普天間基地の変化を目撃してきた。
滑走路のかさ上げ工事、嘉手納基地の代替としての機能や兵舎の改築など、返還されるはずの基地が日々強化されている。
さらに、新たな燃料施設の建設が明らかになった。費用は約60億円。
沖縄国際大学 前泊博盛 教授
「こうなってくると、“普天間は使い続ける”の言葉に齟齬はないという話ですね。米軍の司令官たちに話を聞いても、『辺野古、何のためにあれ作ってるのか』っていうことをストレ ートに聞いてくるんですね」
そして、“普天間キープ論”をこう評した。
沖縄国際大学 前泊博盛 教授
「まさに米軍の本音が出てるのがこの発言です。つまり、『辺野古なんか要らないよ』って話です。那覇空港が沖合展開したのは、実はそのためのもう一本の滑走路なんですよ。もちろん、アメリカ側は言わないと思います。なぜなら黙っていれば、 別のもう二つの短い滑走路が手に入るわけですから。完成した後で判断した方がいいという判断」
――出来てからの判断の中には、両方取るってことも?
「(普天間と辺野古の)両方、取ると思いますよ」
「諦めてしまったのか」本土からの問い 投票に意思を託す若者たち
玉元花菜さんのコラム「アメリカンドーナツ」。普天間基地を取り囲むように、市街地が広がる風景を表現している。
『この形状からよく「宜野湾市はドーナツだね」と言われる。真ん中はぽかんと空洞がある感覚なのだ』
空洞はなくなると言われて30年が経った。
玉元花菜さん
「投票することで、私の意思はなかったことにできないし、自分の未来に投票しているような気持ちになります。自分の人生でどういう沖縄であってほしいか」
西由良さんには、最近、選挙のたびに本土の人から聞かれることがある。
西由良さん
「『沖縄の人はもう諦めてしまったんですか』っていうことを聞かれて、これまでずっと沖縄の人たちが示してきた、そのすべてがなんで一瞬にして忘れられてしまうんだろうと。県知事選の結果がどうであれ、沖縄の中でどんな議論があったか、どんな選択がされてきたのか、繋がっていることなので、表面的な態度だけではなく、その先に沖縄の人たちが何を求めて投票しているのかを考えてほしいなと思います」
その選択は、辺野古移設を容認する歴代最年少の知事の誕生だった。
「地殻変動が起きた」元知事が語る県民意識の変化と転換
古謝玄太氏
「10年でしっかり工期を終えていただいて、そのあと直ちに返還をしてもらう。その期日がいつなのかということはしっかりと求めていきたいと思っております」
辺野古反対を貫いてきた玉城氏は、こんな言葉を残し去っていった。
玉城デニー氏
「矛盾がある計画を進めている国に対して、それでは納得しないという県民を代表して私が主張したことは間違っていません」
第5代沖縄県知事の稲嶺惠一さんは、今回の結果の意味をこう考える。
第5代沖縄県知事 稲嶺惠一さん
「地殻変動が起きたってことだと思いますよ。従来の沖縄と県民意識が変わったってことですよ。対基地の問題があるから。その意味では、画期的な転換だったと思いますよ」
地殻変動の予兆は、前回の参院選。沖縄で、参政党が12万票を集めたことにあったという。
第5代沖縄県知事 稲嶺惠一さん
「昔は、ウチナーンチュという意識があったと思うんですよ。ウチナーンチュというのは実は、微妙な意識なんですよね。日本の沖縄県人と、いわゆる沖縄人との、 そういう微妙な意識が入っているわけですよ。ところが、今の若い人たちは、その微妙な意識がないです。要するに、沖縄県人です。本土化しているわけ。本土の若い人たちが右傾化してますから、当然(沖縄も)右傾化した」
歴代8人の知事は、保守・革新問わず、沖縄の歴史を背負いながら決断を下してきた。
稲嶺さんは、沖縄県知事としての国益と県益のはざまでの苦悩を語った。
第5代沖縄県知事 稲嶺惠一さん
「国と良好な関係を保たなければうまくいかないんですよ。しかし、良好な関係を保つと、県民が許容できない問題点が必ず出て来る。保守勢力が強くなって選挙で全部勝つと、政府としてもある程度安心感があって、ある程度無理難題を押し付けてくる可能性がありますよね。そのときにどう知事が対応するか。非常に厳しい選択を迫られる。基地がある限り続く問題です」
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