
天皇の名のもとに行われた先の大戦で、 住民を巻き込む激しい地上戦が行われ、日米合わせて20万人が犠牲となった沖縄。住民の犠牲は9万4千人に上り、天皇や皇室に対して複雑な感情を持ち続けている人も多い。
この沖縄を、2025年6月4日と5日に天皇皇后両陛下と愛子さまが戦後80年の慰霊などのために訪問された。愛子さまにとっては初めての沖縄。愛子さまは何を感じ、沖縄の戦争体験者は愛子さまの訪問をどのように受け止めたのだろう。
「生きるために…他の人を…」沈痛な面持ちの愛子さま
初日、まず訪問されたのは、糸満市の摩文仁の丘にある国立沖縄戦没者墓苑。天皇ご一家は3人並んで花を供え、深々と拝礼された。
出迎えた遺族らと懇談した後、平和の礎(いしじ)に移動された。礎は沖縄戦などで亡くなられた24万2千人あまりの名前が刻まれている。愛子さまは刻まれた名前をじっと見つめられていた。
ご一家はその後、沖縄県平和祈念資料館に入られた。ここは住民が戦火を逃れるために隠れた壕をイメージし、細長い通路にも展示が行われている。薄暗い館内で、愛子さまは、当時14歳だった少年が、壕の中で目撃した証言を読まれた。
「(前略)非常にさびしい気持の大声を出して 噛みつくんです。それでこの方を壕におくとみんなに噛みつくし また大声を出すと敵に発見されるから これではいかん とオヤジ連中が相談して どうせこれは助からない といって 首をしめて 助からないから十八名を助ける ということでちっ息させたわけです」
愛子さまは「すごく壮絶な…」「生きるために…他の人を…」と言葉を発し、沈痛な面持ちだった。
「戦争は心を奪ってしまう」戦争体験者涙の訴え
この後、ご一家は戦争体験者と懇談された。照屋苗子さん(89)が米軍の攻撃で家族が即死した壮絶な体験を語り始めた。
「皇室にこれまでお話ししたことないことを言っても良いですか」
照屋さんは堰を切ったように続けた。
「6月はじめごろ、(米軍の攻撃で)祖母と姉と弟が即死しまして、その肉片と血が、私の膝に、その肉片と血がついて、私は気を失いました。戦争というのは人間が人間でなくなる残酷さで、悲惨で、地獄です。皇室の皆様方は、沖縄の戦争のようなことが二度とおこらないように、訴えてほしい。戦争は、この心を、奪ってしまう」
照屋さんは、「この心を」と自分の胸を叩きながら涙ながらに訴えた。皇后さまは「お辛い話ですね。お話いただきありがとうございました」と言って照屋さんの手をにぎられた。愛子さまはじっと話に耳を傾けられていた。
「愛子さまの訪問は非常に大きなこと」
5日、天皇ご一家は、米軍に撃沈された対馬丸の疎開児童を悼む「小桜の塔」と「対馬丸記念館」を初めて訪問された。
1484人が犠牲となり、館内には遺影がびっしりと掲げられている。対馬丸の悲劇には上皇ご夫妻が長年心を寄せ続けてきた。ご一家は、当時4歳で、一緒に船に乗った家族9人を失った高良政勝さん(85)と懇談された。
高良さん「今回のご訪問、両陛下のご訪問も非常にありがたいけれど、特に愛子さまがおいでになられたことが、非常に大きなことだと思います。皇室がやっぱり関心をもってくださっていることは非常に記念館にとってはありがたいこと。こういうことがあったということを多くの人に知ってもらって、平和を維持するために非常に大きい役目を、小さいけれど果たしているんだなと」
「過去のこととは思えない」天皇家への複雑な思いを乗り越えて
悲惨な沖縄戦を生き残った人たちの中には皇室への複雑な思いを率直に語る人もいた。
10歳だったとき家族を失い、戦場を一人で逃げ惑った玉木利枝子さん(91)。沖縄戦の語り部の活動をされている。
「戦争というものが始まって、今は終わったことですから、始めたことへの責任とか、そういう物はもう過去のことですから、と思うことは出来ないけれど、これからこういうことがあったということを今の人たちに分かってもらって、これからをどうするかっていうことをやっぱり学んでいってもらわなければいけない。だから、私はやっぱり中学生や高校生に語り続けると、天皇ご一家にお話させていただきました。天皇家に対して複雑な思いが、体験者としてはあるにはあるが、上皇さまからずっと続いて、今の天皇家、秋篠宮家も、贖罪の気持ちを持って勉強している。沖縄に対してお詫びの気持ちのような思いを非常に感じました」
沖縄に心を寄せ続けた上皇ご夫妻
大元帥だった昭和天皇は終戦後、日本国民統合の象徴となり、地方訪問を繰り返したが、沖縄に行くことはかなわなかった。
アメリカ占領下に置かれた沖縄は1972年5月に本土に復帰。1975年の7月に当時皇太子だった上皇さまがご夫妻で初めて沖縄を訪問。この訪問の際にひめゆりの塔で火炎瓶を投げつけられた。その夜、上皇さまは、沖縄について異例の談話を発表された。
「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人びとが長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」
上皇ご夫妻はその後、さらに深く沖縄に心を寄せ続けた。豆記者と呼ばれる記者体験をする沖縄の小中学生をお住まいに招いての交流を続け、琉歌や沖縄舞踊など沖縄の言葉や文化にも親しまれた。沖縄訪問は11回に及ぶ。
平和の願い 次の世代へ
沖縄の戦争体験者は、上皇ご夫妻の贖罪にも似たその気持ちを受け止めたのだろうか。過去の過ちを赦そうと努力し、未来の平和への願いにつなげようと努力している。両陛下はその思いを継承し、さらに愛子さまという次の世代にも受け継ごうとしている。
陛下は2月の誕生日会見で「愛子にも、戦争によって亡くなられた方々や、苦難の道を歩まれた方々に心を寄せていってもらいたい」と述べられていた。こうした両陛下の強い思いで愛子さまの同行が決まったのだ。
愛子さま苦難の歴史を深く心に刻む
4日の夜、両陛下は側近を通じて沖縄訪問の感想を公表された。
初めて沖縄を訪問された愛子さまについて「苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史を深く心に刻んでいました」と触れられた。
そして「戦争を体験された方や、遺族となられた方々のお話をうかがい、皆さんが経験された想像を絶するような苦難の一端に触れ、深く心が痛むとともに、戦争を悲惨さや平和の大切さについて思いを新たにしました。戦後80年を迎える節目の年に沖縄県を訪れ、苦難の道を歩まざるを得なかった方々に思いを寄せつつ、平和の尊さを心に刻み、平和への願いを新たにしていきたいと思います」と表明された。
目の前で肉親を亡くした照屋苗子さん(89)は、愛子さまにこう呼びかけていた。
「愛子さまも来てくれてありがとう。これからも上皇ご夫妻の想いを引き継いで、これからも沖縄にいらしてください」
愛子さまは「はい」と返事をされた。
TBSテレビ報道局 解説委員
牧嶋 博子
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