
【前編】では、京都アニメーション放火殺人事件で渡辺美希子さん(当時35)を失った渡辺さん一家が、事件当日に直面した過酷な現実と、今も続く心身への影響についてお伝えした。「『隠さなあかん』」と変わり果てた娘の手を取った母・達子さん(75)。「『僕も飛んで行きたかった』」と自宅で苦しんだ兄・勇さん(46)。
なぜ、「家族思い」だった美希子さんが命を奪われなければならなかったのか。理不尽な現実と向き合う中で、家族が語った「願い」とはーー。
(「全国犯罪被害者支援フォーラム2025」より)
「ありがとう」 家族思いだった美希子さんの優しさ
兄の勇さんは妹の美希子さんについて、「本当に兄の立場から見ても悪いことする人間でもないですし、家族思いの妹なんです」と振り返る。そして、事件の半年前、勇さんが故郷の滋賀県にUターンした際に届いたLINEを明かした。
渡辺勇さん
「『兄さんや奥さんが近くにいれてくれて、お母さんやお父さんも安心していると思います。ありがとう。私は仕事にばかり集中させてもらって、今の環境には感謝しきりです。何か困ったことがあったら力になれるように頑張るからね。ちょっとそれを伝えたくなりました』みたいなLINEを送ってくれて、なんかすごい考えてくれててありがたいなと」
それだけに、理不尽さは募る。
事件当日の夜、「滋賀県に帰るのは無理だろう」と、美希子さんの同僚たちが“半泣き状態”で母・達子さんたちのホテルを手配してくれた。そして、ホテルに到着すると、そこには車で先回りし、同僚が待っていた。
渡辺達子さん
「ホテルまで着いたら、『僕が送っていく』といった子がいて。鍵持って待ち構えていて、『これ部屋の鍵です』と言ってくれたんですよね。そういう子がいる会社に、あの子は勤めてたんだなって思いましたね」
事件の翌月、家族は美希子さんの部屋を片付け、引き払うことにした。
渡辺達子さん
「物の置き方が、やっぱり家族の誰ともちょっと違うんですね。ああ、これはみっこ(美希子さん)の置き方みたいなのをどうしても感じちゃうので。もう片付けるのが嫌でしたね。もう一生このままこの部屋借りっぱなしにしてほしいと思ったんですけれども、娘に『それはいけません。よく考えなさい』と言われて、それはそうやと」
片付けの途中、美希子さんの自転車がないことに気づいた。自分たちで探しても見つけられず、駅の交番に相談した。
渡辺達子さん
「『鍵をお渡しするので、ゴミにされるのはちょっとしんどいから、もしあったらどなたかに差し上げて』と言って、アパートに戻ったんですね」
それから数時間後、駅の交番で相談した警察官が自転車を探し出し、持ってきてくれた。
渡辺達子さん
「今も自転車は我が家の玄関開けたら置いてあって、思わず『お巡りさんさんはすごいな、みっこ』って声をかけてしまいますよね。嬉しい出来事でした」
「今のような環境ならば、あの事件は起こさなかった」
裁判に足を運んだ兄の勇さんは、加害者・青葉真司被告の言葉に強い苦しみを覚えた。
渡辺勇さん
「彼が言った言葉がちょっときつかったんですね。(中略)『まあ数人は亡くなると思ってたけれども、上の階とかにいた人たちは運がなかった』みたいな話をしたりであるとか。(中略)今、体が動かしにくい状態で、(中略)いろんな人たちにヘルプをもらって過ごしていることを彼は感謝していると。『今のような環境ならば、あの事件は起こさなかった』って言っておられました」
拘置所での今の生活を「幸せだ」と言う加害者。
渡辺勇さん
「なんかすごく苦しくて、僕らが普段生きている世界と、彼は罰というか、拘置所にいて、そっちの方が幸せだって言ってること自体に、どうしたらいいんやっていう心に正直なりました」
渡辺勇さん
「今回のことを、彼のことを、許すとかはちょっと難しいんですけれども、僕にとってはこういうことが起こってしまうような環境や人間性というか、何て言ったらいいんですかね。そういうのが少しでも減る可能性があるのならば、この講演も含めて、やっていけたらなというふうに思っております」
社会との摩擦、そして「願い」へ
事件後、家族はメディアとの向き合い方にも苦しんだ。実名報道を「隠す必要はない」と受け入れたものの、自宅にまで記者が訪れるようになった。
渡辺達子さん
「ここへ来て取材するんじゃなくて、何でこんなことが起こったのか調べて書くのは、報道マンたるもののお仕事と違うんかって言ったんです。何年か経ってご近所さんに聞かされたのは『その子がその角っこで我が家の方向いて、ずいぶん長いことお辞儀してた』というのをつい最近、聞かされて。ああそうやったんかって。言い過ぎたかなと思いましたね」
数年後、達子さんはある新聞社から講演の依頼を受けたという。
渡辺達子さん
「実名報道とか被害者とか被害者遺族に対する報道の仕方について、喋っておられるので、会社で講演をしてくれないかというお誘いを受けたんです。報道の立場からそんなお話いただいたのは初めてだったんですけれども、なんかちょっと嬉しかったんですよね」
「温かい空気感」のある社会へ
渡辺勇さん
「加害者も被害者も生み出さないような社会であるとか、世界に少しでも近づいていってほしいなというのが本当の今の願いでして。もうこんな思いをしたくないし、して欲しくないですし、僕も小さな子どもたちがいるので。日本に住んでいて、こんな恐ろしいことが起こらない社会だよって彼らに言ってあげられるような環境に少しでも近づけていきたいなというふうに今思ってます」
達子さんは、今もカウンセリングを受け続けている。
渡辺達子さん
「周りの優しい温かい人たちに支えられて、何とか私気も狂わずに、入院もせずにやっていけている」
「本当にとっても助けてもらってます」
最後に、達子さんは周囲への感謝とこれからの社会への思いを語った。
渡辺達子さん
「幼い子には親だけでなく、近所の方々とか、おまわりさんとか、消防署の方々とか多くの大人に守られてるんだって実感しながら、育ってほしいと思ってます。困ったときに、誰かが手を差し伸べてくれたら、その手を受け取れる子供に育って欲しいし、大人になっても、その感性だけは失わないでいてほしいと願っています」
渡辺達子さん
「世の中、誰もが自信を持って生きていける社会であって、精神的に強く優しい人が多かったら、事件はちょっとでも減るのかなっていうふうにも思ってます。ただ誰もが生きやすい世の中とか、社会とか、政治とかは我々社会人が作るものだろうと思います。どれだけ良い組織ができたとしても、それを動かしてるのは、我々人間なので、温かい空気感っていうのかな、それがないと組織はなりゆかないんだろうなっていうふうにも思っています」
凄惨な事件の苦しみの中から絞り出された「想い」と「願い」。
達子さんと勇さんが語った「温かい空気感」を持つ社会を、私たちはどう作り上げていくべきだろうか。
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