
“運命の一日”プロ野球ドラフト会議が22日に行われる。亜細亜大・川尻啓人(21)は最速158キロの直球を武器に、今秋のリーグ戦でノーヒットノーランを達成する快挙を成し遂げた。しかし大学2、3年時には怪我に苦しみ、思うように登板できない日々を過ごした。苦難を支えた仲間や家族の存在、そして自身が大切にする直球へのこだわり。幾多の困難を乗り越えて成長を遂げた右腕が、プロの舞台を見据える。
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東都の高い壁が成長の糧に
野球を始めたのは小学1年の時、友達に誘われたことがきっかけだった。小学4年になると、自ら志願して投手に挑戦。父は小中学生時代に野球を教えてくれた存在で、家の前の道路で羽打ちをするなど、家族に支えられながら野球に打ち込んできた。
高岡商業高(富山)時代はエースナンバーではなく、野手として甲子園に出場。進学先の大学についても当初は明確な希望があったわけではなかった。転機となったのは、高校の監督に連れられて参加した亜細亜大の練習。そこでコーチから声をかけられたことが、進学を決めるきっかけになった。
入学後に身を置いた東都大学野球リーグは、実力者が集う厳しい環境だった。特に印象に残っているのが、1年時に最上級生だった投手陣の存在だ。2023年のドラフトでは亜細亜大の先輩である草加勝(現・中日)をはじめ、青山学院大の常廣羽也斗(現・広島)、下村海翔(現・阪神)、国学院大の武内夏暉(現・西武)、東洋大の細野晴希(現・日本ハム)、専修大の西舘昂汰(現・ヤクルト)、中央大の西舘勇陽(現・巨人)がドラフト1位でプロの世界へ進んだ。
当時の、レベルの高さに圧倒されながらも川尻は「良い環境で野球ができたことがレベルアップの一番の要因」と振り返る。高校時代に最速141キロだった直球は、大学で最速158キロにまで成長。食事では1日最低5食を目安に、間食も取り入れながら体づくりに励んだ。日々の食事を工夫し、トレーニングにも力を注いだことで、球速の向上に繋がっていったという。
「自分の長所はストレート。そこはやっぱり曲げたくないところです」。力強い直球へのこだわりは、投手としての軸になっている。一方で、直球だけで抑えられるわけではないことも、実戦を通して学んだ。球速という武器を生かすためにも、制球力や変化球などの課題にも目を向けてきた。
苦難の時期を支えた仲間の言葉
順調に成長を続けてきたように見える川尻だが、大学2、3年時には怪我で投げられない時期を経験した。思うように野球ができず、周囲との差が広がっていくことへの焦りもあった。
それでも、川尻は立ち止まることはなかった。野球から離れれば、自分が駄目になってしまう。そんな思いが、苦しい時期を耐える力になった。さらに支えになったのは、チームメイトからかけられた言葉だった。「お前がおらんとだめだ」。仲間から必要とされていることが、前を向く理由に。両親からの「頑張れ」という言葉も心強かったという。
苦難を乗り越えた今秋、川尻は大きな快挙を成し遂げた。13日の国学院大戦でノーヒットノーランを達成。東都大学野球1部リーグでは、2004年秋の山木正博投手(亜細亜大)以来、22年ぶり、史上12度目の快挙となった。また亜細亜大は9季ぶり28度目のリーグ優勝。川尻がこれまで積み重ねてきた努力が、ついに大きな結果となって表れたのだ。
「チームを勝たせるのがエース」その先に見据える大きな目標
座右の銘は「不撓不屈」。困難に直面してもくじけず、立ち向かうという言葉は、怪我に苦しんだ自身の経験とも重なる。
「チームを勝たせるのがエース像です」。速い球を投げるだけではなく、チームの勝利に繋がる投球をすること。直球という最大の武器を磨きながら、制球力や変化球にも向き合うのは、その理想に近づくためでもある。その先には「日本を代表する投手になりたい」という大きな目標がある。不撓不屈の精神で苦難を乗り越え、磨き続けてきた直球を武器に高みを目指してきた川尻。夢の実現へ向け運命のドラフトを迎える。
■川尻啓人(かわじり けいと)
2004年10月23日生まれ。富山県富山市出身。身長189cm、体重93kg。投手、右投左打。高岡商では2度甲子園に出場。亜細亜大に進学。最速158キロ。13日の国学院戦で1部リーグでは、2004年秋の山木正博投手以来、22年ぶり、史上12度目のノーヒットノーランを達成した。
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