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「見ているものに感動をあたえることが現場の義務であり使命」“日本中が愛した永遠のヒーロー”長嶋茂雄さん逝く【風を読む・サンデーモーニング】

スポーツ
2025-06-08 16:07

3日に亡くなった「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さん。多くの日本人に愛されたその理由は何だったのでしょうか。


【写真を見る】「歌舞伎の所作」から着想を得たという華麗な送球


惜しまれる「記憶の長嶋」活躍の軌跡

6月4日、長嶋さんの自宅を松井秀喜さんや高橋由伸さんなど巨人のOBらが次々訪れ、別れを惜しみました。


東京・稲城市のジャイアンツタウンスタジアムの記帳所にも多くのファンが訪れました。


ファン
「嫌なことがあっても、あの笑い顔を見ていると忘れちゃう」


「ミスタープロ野球」と称された長嶋茂雄さん。
日本中から愛されたスーパースターは、どのように生まれたのでしょうか。


東京六大学野球のスターとして1958年、巨人でプロ野球デビュー。
テレビが日本中に普及する中、人々の娯楽はお茶の間でプロ野球をテレビ観戦することでした。


そうした時代、長嶋さんのプレイに人々は魅了されます。


華麗な送球は歌舞伎の所作から着想を得たといい、豪快なスイングでヘルメットが飛ぶよう、あえて大きめなものを被ったといいます。「記録の王」に対し、「記憶の長嶋」と評されました。


長嶋さん(1958年)
「プロともなれば、もちろんチームのためもあるけど、自分のためでもある。自分さえ一生懸命やれば、チームのプラスにもなる」


移動先では、バスの外からも、ファンからサイン攻めになっていました。


当時の子どもたちが好きなものといえば「巨人・大鵬・卵焼き」。少年野球チームでは、この子もあの子も背番号「3」。


その頃、日本は高度経済成長を果たし、世界2位の経済大国としての繁栄を謳歌しました。巨人も1973年にV9を達成しました。その象徴的存在が長嶋さんでした。


伝説の引退シーン 愛され続ける理由

そして1974年、多くの人の胸に刻まれる名シーンが。


長嶋さん(1974年)
「私はきょう引退しますが、我が巨人軍は永久に不滅です」


常にファンの目を意識し、ファンと共にあり続けた長嶋さん。


長嶋さん(1974年 引退直後のインタビュー)
「ファンあってのプロ野球だということはよく耳にはしておりますし、実際そういう姿勢で選手生活を続けていた」


引退後すぐに監督に就任し、1975年~1980年まで務めます。2度のリーグ優勝も果たしました。


92年オフには、当時2年連続で優勝を逃した巨人の再建を託され、再び監督に就任しました。


長嶋さん(1992年10月 2期目の就任会見)
「多くのファンの皆様方の支持の力によりまして、監督という環境を得たことは、球人冥利に尽きるの一言」


折しも時代はバブルがはじけ、日本経済から活力が失われつつあった頃。長嶋さんの天性の明るさは、日本人を元気づけました。


選手には、熱く指導しました。

92年の秋季キャンプでは「お!変わってきたな。いつ化けたんだ、このスイング」と時に笑いを誘い、周囲を和やかな雰囲気に包み込みます。

そんな長嶋さんの姿から、「理想の上司」の1位に選ばれたこともありました。


常にファンを喜ばせるエンターテイナーであり続けた長嶋さん。言葉遣いも、時に英語を交え…


長嶋さん(1994年) 
「チーム全体がスピードとチャージをトライできるような、イージーに入っていけるように」


その理由を、かつて「NEWS23」で答えていました。


Q.日本語よりイングリッシュを使った方が、うまく表現できますか?
長嶋さん

「野球用語が英語が多いので、ついつい脱線して出る時がある。両方使ってます」 


Q.野球選手になっていなければ、今何をしていた?
長嶋さん
「野球選手以外ありえなかった」


生涯“野球一筋”だった長嶋さんは、巨人の監督を退任後、アテネオリンピックで代表監督に就任しました。


病との闘い 自身を奮い立たせた“夢”とは

アテネオリンピック開幕を目前に、当時代表監督だった長嶋さんは、脳梗塞で倒れます。


しかし懸命のリハビリを重ね、翌年には、東京ドームに姿を現します。その後も、チームを鼓舞しようと、精力的に宮崎キャンプを訪問。


長嶋さん(2007年)
「絶対勝つ。もう3回言う。勝つ勝つ勝つ」


自分を奮い立たせ、困難なリハビリに挑み続けた長嶋さん。
その理由を2021年のインタビューでこう語っています。


TBSスペシャルキャスター 高橋尚子さん
「あそこまで頑張るのは何が自分を奮い立たせる?どんな思いだった?」


長嶋さん
「一度でいいからオリンピックに出てみたいと」


そして、その思いは2021年の東京五輪の開会式で現実になりました。


昭和から平成、令和と時代と共に人々を勇気づけた長嶋茂雄さん。日本中が愛した永遠のヒーローでした。


長嶋さん(1987年)
「見ているものに感動を与えることが現場の義務であり使命」


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