
歌手の橋幸夫さんが亡くなり、通夜に参列した夢グループの石田重廣社長と歌手の保科有里さんが、橋さんとの思い出や最期の様子について語りました。
【写真を見る】【 橋幸夫さん・通夜 】「みんなの部屋の方がいい」大部屋で楽屋生活 夢グループ石田重廣社長と保科有里さんが追悼
石田社長は「どのようなお気持ちでしょうか」との問いに「安心しました、正直言って」と話します。石田社長は2年前、3年前から橋さんから「いずれこういう場面が来るから社長よろしくな」と言われていたといいます。
保科さんは橋さんについて「私には本当に妹のように可愛がってもらって、デュエットも一緒にラストコンサートのツアーで回らせていただいた」と振り返り、「いい思い出しかなくて、ありがたくて」と語りました。
石田社長は橋さんについて「特にこの1年、2年というのが、僕は橋さん大好きになったんです」と話し、周囲からも「社長、橋さんって昭和の大スターだよ」と言われていたが、橋さん自身は石田社長に心を開いてくれたと明かします。そして「橋さんは常に感謝という言葉」だったと語ります。
橋さんが認知症を患っていたことについて、石田社長は「発表することは橋さんから叱られると思った」と打ち明けます。しかし「このまま隠しながらステージをして仕事をするということが、お客様も不思議でおかしいと思われる」と考えたとのこと。橋さん自身も自分の行動に不安を抱き「休もうか」と言われた石田社長は、橋さんを「休まないで」と激励しつつ、病状を発表することにしたと経緯を説明しました。
発表後の橋さんは「言った方が楽だ」と話し、お客様からも温かい声援があったといいます。石田社長は「今までなら橋さんがお客様に勇気と夢を与えて、それが仕事だったものが、お客様から橋さんに応援声援があって、橋さんがそれに答えていく」という状況になったと振り返ります。
また、橋さんは後半「大部屋」での楽屋生活を好むようになったといいます。橋さんを支えようと石田社長が一計を案じ、「みんなのところに席を設けたよ」と促すと、橋さんは「俺、人生の中で大部屋で座ってくれって言われたの初めてだ」と驚きながらも喜んで、大部屋での楽屋生活に馴染んだとのことです。
保科さんは「うちの仲間がみんな橋さんと、後輩の皆さんが代わりばんこに、お手洗いに一緒に行ってあげたり」と、みんなで橋さんを支えていたと語ります。
石田社長は最後に「橋さんは言葉が発することができなくなる寸前まで歌を精いっぱい歌った。橋さんに僕は感謝で、ご苦労さん、素晴らしかったね、かっこよかったよ」と追悼の言葉を述べました。
【担当:芸能情報ステーション】
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