
9月4日に亡くなった、歌手・橋幸夫さんの通夜が、本日、都内で営まれました。
通夜に参列した舟木一夫さんが、かつての「御三家」の一人だった橋さんとの思い出や、その人柄について語りました。
【写真を見る】【 橋幸夫さん・通夜 】 御三家・舟木一夫さん 橋幸夫さんは「偉大な先輩」「歌を丁寧に歌う」ことを「ずっと自分に課してやっていらっしゃった方」
舟木さんは橋さんの訃報について「ちょっと病状のことを伺ってはいたので心配はしていた」と話し、ステージの様子を動画で見た時に「大事にしていただきたいな」という感想を持ったと振り返ります。
御三家(橋幸夫さん、西郷輝彦さん、舟木一夫さん)の関係については、「3人それぞれ忙しすぎて、年に2〜3回しか顔は合わせない」と説明。「雑誌の企画や、大晦日の番組で会うとか」というところで会う程度で、「私生活はお互いに会ってる時間がない感じ」だったと当時を回想しました。
舟木さんにとって橋さんは「偉大な先輩」だったといいます。
橋さんとの印象深い思い出として、「こまめに仕事場で歯を磨いていました」という話を挙げます。「リハーサルから本番まで行くまでに2回ぐらい歯を磨いていた」と、その丁寧な姿勢に当時驚いた様子を伝えました。
また舟木さんは橋さんの歌唱について「個性溢れる、独特な声」であり、「歌を丁寧に歌う」ことを「ずっと自分に課してやっていらっしゃった方」だと評しています。
最後に橋さんと会ったのは「引退会見をなさる2年ぐらい前」だったと言い、「突然の引退表明があってびっくりした」と当時の心境を明かします。
亡くなった橋さんに対する最後の言葉を問われると、舟木さんは「何にも…はい。言いたくないもん。」「僕はその穏やかな顔も見たくないし…うん…ご苦労様でしたも言いたくないし…だから何も言いませんでした」と言いたくないと答え、感情を抑えているようでした。
橋幸夫さんは、高校在学中にビクターのオーディションに合格し、1960年(昭和35年)「潮来笠」(いたこがさ)でデビュー。同年、同曲の爆発的なヒットに伴い日本レコード大賞に新人賞が新設され、初の受賞者となりました。さらに同年、NHK「紅白歌合戦」に初出場を果たし、以降17回連続出場。1962年(昭和37年)吉永小百合さんとのデュエット曲「いつでも夢を」、1966年(昭和41年)「霧氷」で日本レコード大賞を2度受賞。舟木一夫、西郷輝彦とともに“御三家”と呼ばれ、人気を博しました。
2023年5月3日には歌手活動からの引退を宣言。しかしファンや講演会からの声もあり、翌2024年4月に引退を撤回して活動を再開しました。また、橋さんの歌を歌い継ぐ歌手の募集が行われ「二代目 橋幸夫 yH2」というユニットがデビューするなど、歌への情熱を絶やすことはありませんでした。
橋さんのアルツハイマー認知症については、今年5月に夢グループの会見で公表されました。会見で配布された診断書によると、橋さんは、2022年に軽度のアルツハイマー型認知症と診断され、2023年には右頭頂葉脳梗塞を併発。去年の年末に、中程度のアルツハイマー型認知症と診断されていました。
【担当:芸能情報ステーション】
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